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意味に彩られた世界 その2

  • Shogo
  • 2024年12月18日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年12月19日

私たちは、周りの世界から入ってくる情報の多くを無視している。見慣れた景色を思い浮かべてほしい。会社の自分のデスクの上に何が置いてあるのか、いつも見ているのに、それを意識する瞬間はほとんどない。冷蔵庫に貼ったメモのは内容は、メモ用紙の存在ごと忘れてしまう。毎日見ているにも関わらず。私たちは、見慣れているものはもちろん、おそらく初めて見るものですら、認識するのは全体のほんの一部である。そして、無視した情報は記憶など統合された情報によって補われる。そうしなければ統合されていない情報があふれ、私たちが見る世界はバラバラになってしまう。これは脳の「予測」という重要な機能であり、予測によって世界は「意味」に彩られる。

私の実験机の風景

絵に描かれているのは、私がいつも実験をする机である。私はそこにいつも何が置いてあるのか知っているが、それを意識することはあまりない。私たちがこの絵を見るときも、細部の情報を無視し予測することで、絵が全体として意味をなす。絵の中のパーツは雑に描かれていて、あまり意味をなさないが、大きな問題とならない。なぜなら結局無視しているからである。むしろ意味を持たないからこそ、多くのものになり得る可能性を持っている。部分に可能性があるから自由な予測ができる。例えば「ペンの隣の似たような形の物は色違いのペンだろう」「机の上には光を反射する無機質な物が置いてあるだろう」と予測する。予測によって部分が統合すると全体に新たな意味が生まれる。その結果、全体は部分がもつ意味の総和以上の意味を持つことになる。逆に細部を丁寧に描くと部分に意味が生まれてしまい、可能性が減少する。そのため全体は新たな意味を生み出さない。


これは私たちの心が行っていることである。認知科学の鈴木宏昭先生の言葉を借りれば、心が物理的世界を「意味に彩られた世界」に変える。神経科学のアニル・セス氏によれば、現実は「制御された幻覚」である。これは現実は心の内面にだけ存在するという観念論ではない。私たちが現実世界で生きていくために脳が絶えず幻覚を生み出して制御する。


絵の話に戻ろう。私たちは絵の世界と現実を区別できる。にもかかわらず、絵の中の可能性を持った部分から、全体に意味が生まれる。現実ではない絵の中に意味が生まれると、脳は大きな矛盾に直面する。そのとき私たちは正しい幻覚を見ていると理解する。私たちは、心が勝手につくり出す意味を楽しむ。それは「意味に彩られた世界」をさらに鮮明にする。私はそう考える。


出典: なぜ私は私であるのか〜神経科学が解き明かした意識の謎〜 アニル・セス 著 岸本寛史 訳

心と現実 私と世界をつなぐプロジェクションの認知科学 鈴木宏明 川合信幸 幻冬舎新書

※出典よりも思索のためのインスピレーションに近い。私なりにかなり曲解した。

 
 
 

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Shogo Takatani

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