理性と感情
- Shogo
- 2024年11月18日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年12月3日
物語の理性的な人物は、感情を見せず合理的な判断をする人物として描かれる。一般的に、理性と感情は相反するもので、感情的であることは悪いと思われている。今回は脳神経科学の研究者である櫻井武博士の著書『「こころ」はいかにして生まれるのか』の内容をもとに、私なりに感情の意味を考えてみた。

人は見たものを、詳細に把握して、あらゆる状況に臨機応変に反応することができる。これは高度に発達した大脳皮質が視覚情報を詳細に分析してくれるからである。しかし、この詳細な認知の裏には無意識に行われる別の情報処理がある。
何かを見たときに、好き、嫌い、嬉しい、悲しい、怖い、懐かしい、という感情が生まれる。それと同時に、泣いたり笑ったり、近寄ったり逃げたり、する。こうした反応は脳の深部のより原始的な部分で行われる。その情報処理は無意識に行われるが、実際には詳細な認知によって感情と詳細な視覚情報は後から統合されるので、全て意識できていると錯覚してしまう。しかし、なんとなく「懐かしい」、「嫌な予感がする」など説明できない思いや、依存したりトラウマになったり、意志ではコントロールできない思考パターンも存在する。むしろ人は感情と結びついた無意識の部分に強く支配されている。
詳細な認知に関わる大脳皮質と、無意識の反応に関わる脳の深部は、異なる情報処理を並行に行い補完し合っている。この2つの脳の部位が分断されてしまうと、様々な不都合が生じる。例えば、猿の脳の深部(扁桃体など)を切除すると、ヘビなどの危険なものを見て詳細な認識はできるが、それが危ないかどうかの判断ができない。また「分離脳」の患者は逆に、母親や悪魔などを意味する写真や文章がを見て、それが好ましいかどうかは言えるが、そのイメージを統合できないので、見たものをはっきり認識できない(ただし視野のうち半分は認識できる)。こうした不都合は動物実験や、脳を損傷した人の反応などから明らかになった。
つまり無意識の認知と詳細な認知が統合されることで、人は周りの世界を効果的に認識できる。さらにその認知は「記憶」や「予想」といった高度な脳の能力によって補強され、飛躍的に複雑な認知が可能になる。経験を積んだ大人が、素早く状況を認識して正しく判断できるのは、そのためである。この効果的な情報処理には、上述の感情(=情動)が重要な役割を果たす。つまり、無意識の認知が視覚情報を処理して感情を惹起し、同時に詳細な認知が視覚情報を分析し、視覚情報の性質と感情を統合する、さらに感情に紐付けられている記憶と予想によって、効果的に状況判断できる。
複雑な思考や冷静な判断も実は重要な部分を感情に頼っている。こうした認知は柔軟である。例えば、子どものときに怖かったものが、大人になって好きになったり、嫌いだった人が付き合って行くうちに好きになったりする。人はいろいろな経験を積んで行くうちに、見える世界が180度、変わってしまうことがある。
ここからは私の考えである。感情を抑えることが求められる今の日本の社会では、感情的であることが悪いこととされる。しかし、感情が様々な経験や複雑な思考を結びつけるからこそ、物事の善悪や進退を効果的に判断できる。人は理性だけでなく豊かな感情も一緒に発達させた動物である。おそらく、感情が豊かでなければ理性は生まれなかったであろう。均一化し、感情を抑えなければならない社会に理性はあるだろうか。芸術や文学を巻き込む有機的な社会の発展が、理性的であると言えるかもしれない。
参考文献:
櫻井武 「こころ」はいかにして生まれるのか 講談社ブルーバックス



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